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カテゴリ:父のはなし( 8 )

父とドライブ

ラジオ体操のハンコがいっぱいになって皆勤賞の賞品をもらう頃、父と私の夏休みが始まる。

父の軽ワゴンのエンジン音が私の目覚ましだ。

寝巻きのまま慌てて朝ご飯を食べる。

アブラゼミの声と蒼い空と入道雲。

今日もいい天気だ。

「はよせー行くでー」

私はあわてて服を着替えて玄関に走る。

「おかあさん行って来まーす!!」

そう、これから父とのドライブが始まるのだ。

行き先は海。正確には魚市場。

父の職業は魚屋だ。

朝早く市場に出かけ、その日あがった魚を競り落とし店頭に並べる。それが父の毎朝の日課だった。

父の競り落とした魚は美味いと評判で、店だけでなく近所の寿司屋にも納められていた。

私は海、とりわけそこに住む魚が大好きで、父から競りの話を聞くたびにいつも心踊らせていたものだった。ただ当然のごとく普段は学校があるため競りには連れて行ってもらえない。話を聞いては市場に並ぶ見た事も無い魚達を思い描いて楽しんでいた。

しかし、夏休みだけは違った。ラジオ体操の期間が終わると、競りに連れて行って貰える事になっていたのだ。

甲高いエンジン音とともに車が走り出す。全開にした窓から心地よい風が入り込み、流れる景色に乗ってラジオの音が響く。

窓から顔を出すと、むせ返る様な夏の匂いが顔にぶつかってくる。

その匂いに潮の香りが混じり始めると目的地はもう過ぐだ。

魚市場は今日も魚でいっぱいだ。

父はいつも床に並べられた魚を品定めしながら、必至で魚を目で追う私に魚の名前やうんちくを教えてくれた。運のいい時には、エイやアンコウなどの珍しい魚にも出会えて、そんな日は最高にハッピーだった。

中でもサメがあがった日の事は今でもはっきりと覚えている。父はそれを「ジョーズ」と名付けた。私はそれを恐る恐る遠巻きに眺めながらも、好奇心に目を輝かせた。その日の帰りの車では「じょーず、じょーず」と家まで連呼しつづけ、父をおおいにあきれさせた。

今では、父はこの世を去り、魚市場も無くなってしまった。

それでも良く晴れた夏の朝、軽やかに響く軽ワゴンのエンジン音を聞くと、ハッと目が覚めることがあるのだ。

「はよせー行くでー」

そう呼びながら、父が車で待っている様な気がして。
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by sunafukinnobousi | 2009-08-29 08:42 | 父とともに

父と孤独

心の自由を手に入れるのは容易い。人と関わらなければいい。

ただ砂漠の様な孤独がいつも傍らに立つだけだ。

人は孤独が怖くて、他人と関わりをもつ。その代償に心の自由を放棄する。

その瞬間心は誰かに縛られるのだ。

縛りは永遠でなく、いつか失う。

不意に訪れる。孤独に限りなく近いもの。

「喪失感」という心の穴。

その穴を埋める術はない。

穴を埋めようとするのが辛いのはそのせいだ。

だが穴を埋める代わりに、薄い布で覆ってやることは簡単だ。

大切な友達と過ごす時間を沢山つくること。

そんな些細なことが積み重なって少しずつ薄く優しい布になっていく。

私の父は小学生の頃に両親を亡くした。

その喪失感はどれだけのものだったろう。

生前父はよく言っていた。

「趣味を持て、それでええ友達をつくれぇ」

続けて父は言った。

「趣味からええ友達が出来るんじゃ。その友達がいつか自分を助けてくれる時が来るけぇ」

私は尋ねた「すぐには助けてくれんの?」と。

すると父はいった。

「すぐじゃねぇ。いつかじゃ」

父と過ごした時間と同じ分だけ、父のいない人生を過ごし父の言った言葉の意味が少しだけ分かるようになった今、残された父の友人達が私たち家族を支えてくれている。

「すぐじゃねぇ。いつかじゃ」

父の言葉がもう一度心に響いた。

父のように趣味に没頭し、私はそれを通じて大切な友人をつくることができた。

父を亡くした喪失感という心の穴は、とても優しい布で覆われている。

だから、今は少し平気である。こうやって父のことを書けるほどに。

それでも、これからもっともっと布が必要になってくるだろう。年を重ねるとはそういうことかもしれない。

けれど大切な友達がいる限り、その布は年を経るごとに幾重にも重なっていくことだろう。そして薄かった布が心の穴を隠すほどに厚く重なった時、私は孤独にさえも勝てそうな気がする。

独りぼっちで頑張ってきた父のように。
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by sunafukinnobousi | 2008-12-01 23:55 | 父とともに

父のステレオ

父が結婚したばかりの頃、「えーのこうてきたで」といって母に自慢げに買ってきたステレオ。その時の父はほんとうに嬉しそうだったらしい。

もう40年以上前の話ー。

そのステレオは、やがて音楽に目覚めた小学生の私のおもちゃになり、クラスで演歌を披露する怪しい少年を生み出した。

中学生。アイドルに目覚めた私は貯めた小遣いでレコードを買いまくった。初めて買ったレコードは恥ずかしすぎて言えない。

高校生になる頃それは弟に引き継がれ、私は新しいステレオを買ってもらいビートルズに遅まきながら傾倒した。

そして私が社会人になるころ、父のステレオは倉庫の番人となった。

その後間もなくして父が死んだ。

父の死を受け入れられないまま、私は父の思い出が残るすべてを拒んだ。

写真を見るだけで涙が出た。

それから19年。父と過ごした時間と同じだけ、父のいなくなった時を過ごした。

私はやっと父と少しだけ向き合えるようになった。

ふと思い立ち、倉庫に眠っていた父のステレオを出した。

ホコリまみれのステレオを磨くと、磨いた分だけ父の思い出が蘇ってきた。

試しにコンセントをさしスイッチを入れてみた。

その時古ぼけたスピーカーから鳴るはずもないであろう音が流れた。

40年もたったのにまだ、壊れてなかったんだ‥

「えーのこうてきたで」

おとうさん、ほんとうにいいの買ってきてくれてありがとう。

今もちゃんと聞けるよ。

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by sunafukinnobousi | 2008-04-24 15:47 | 父とともに

父の友達

生前父は色々な人たちと交流をもっていた。

医者、行政書士、建築業、飲食業、造園業とそれはもうありとあらゆる業種の人たちとつきあっていた。

どうやって知り合ったのかは今をもって不明であるが、一つ言えることはいろんな人たちと交流することで、自分の知識の幅を増やそうとしていたということだ。

大人になると、不特定多数の人たちと付き合うことが少なくなる。必然的に仕事仲間が中心で、狭い世界で生きてしまうことが多い。

それはすなわち自分の知識をその狭い世界に押し込めてしまうことでもあり、偏った考え方や偏見を生むことにもつながる。

父はそれを嫌った。

世の中では色々な立場で色々な考え方で生きている人たちがいる。そのことを私は父の交友関係から学んだ。

「自分がすべての技術を身に付けることはない。色々な人と友達になってその人の技術で助けてもらうんだ」

生前父はよくそう私に語ってくれた。

父が死んだ後、私がひとかどの大人になるまで、そんな様々な父の友人たちが私たちの生活を支えてくれた。

身体の弱い母と子供だった私たち兄弟が今もこうしてやってこれているのはその人たちのおかげである。

ふと外をみると、庭に初老の職人の後ろ姿がある。

父の死後20年近くたった今も無償で我が家の庭を手入れをしてくれている、父の友人の暖かい背中だ。
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by sunafukinnobousi | 2007-11-17 14:43 | 父とともに

レディーボーデンと父のジョーク

いたずら好きの父は、よく子供時代の私をかついだ。

喫茶店に行ってコーヒーを注文しようとすると、

「そりゃ薬みてえなもんじゃ。子供が飲んだら効き目が強えけぇ飲んだらいけん!」

またあるとき、父が食べていた饅頭を食べようとすると、

「これは甘すぎて、いけん。店の人が子供は食べたらいけんよおったでぇ」

当時からぼんやりしていた私は、まことしやかに語る父の言葉に「すげーよーしっとるなぁー」と感心しながら、いつも素直に禁止令に従っていたものだった。いいかげんいい歳だったから、今思うとかなりイタイ子だったと思う(-_-;)

そんな父がひそかな楽しみに冷凍庫に置いていたアイスクリームがある。「レディーボーデン」がそれである↓
b0047958_23571593.jpg普通のアイスクリームより少し濃厚で美味しいアイスクリーム。今でいうプレミアムアイスクリームのはしりで、ハーゲンダッツの大型版のようなものである。

プレミアムとうたうだけあって沢山買うことができず、1個だけ冷凍庫に鎮座するそのお姿は、当事の我が家(特に私たち兄弟にとって)羨望の的であった。

ジョーク好きの父もさすがに、適当な嘘が思いつかなかったようで、アイスクリームだけは私たち兄弟にも食べる許可が下りた。

しかし、そこにはシビアな掟が…

「スプーン3杯まで」

大好きなアイスクリームを目前に、それはかなり過酷な試練であった。しかし大好きな父親の言うことは絶対。なるべく山盛りですくってアイスクリームへのあくなき欲求を満たしていた。

そのとき私は心に刻んだ。「いつか丸ごと食べちゃる!!」

大人になり、ある時夕食の買い物に出かけると、アイスクリームコーナーに懐かしいパッケージが!!

まぎれもなく憧れの「レディーボーデン」

かつてほどの隆盛はないが、バブル期に林立した多くの高級アイスクリームブランドが次々に姿を消す中、地味ではあるが生き延びている姿は、全盛期を過ぎても尚黙々と味のあるプレーをし続けるベテランのプロ野球選手を見るようであった。

かくして、「スプーン3杯の壁を破る!!」べく即購入。

しかし…憧れのアイスクリームを目の前に小心者の私は思わずひるみ、結局スプーン3杯の壁を破れなかったのである。

かつて高嶺の花として憧れの熱い視線を送った私。伝説の「レディボーデン」に敬意をはらいつつ、今尚残るトラウマに肩を落として残りのアイスクリームを冷凍庫にしまうのであった。

父もそんな気持ちで冷凍庫にしまっていたのかな…
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by sunafukinnobousi | 2006-08-20 23:49 | 父とともに

父の大好きなパン

家に帰ると開口一番「パンきたよ」と笑いながら母が言う。

「あーもうそんな時期か…」と私

雨の合間に、夏を予感させる日差しがさす頃、我が家に届くパン。

近所の和菓子屋のおじいさんが3ヶ月だけつくる「玄米パン」

父が大好きだった菓子パンだ。

生前父はこの時期になると、よくこのパンを買って大切な友人に配っていた。

そしてパンを食べて美味しさに顔をほころばせる皆の顔を、嬉しそうに眺めていた。

父はいつこのパンを食べていたのだろう? でも気づくといつも無くなっていた…

しっとり、もっちり、噛むたびに広がるほのかな甘み…

こっそり最後の1個を美味しそうにほおばる父の顔が目に浮かぶ。

今は、ちょっとだけ父の気持ちがわかる。
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by sunafukinnobousi | 2006-07-04 00:03 | 父とともに

想い出のミックスジュース

子供の頃、休みの日にはよく父に連れられて、喫茶店に行っていた。

今、思うと子供を連れて行く場所が何故喫茶店なのか不思議だが、私的には店に漂う珈琲の香りが大好きで、楽しみなお出かけの一つだった。(これが珈琲好きになったきっかけかも)

そんな魅惑の珈琲も「子供が飲むと、病気になる」と父特有のジョークで脅され、私はいつもフルーツが沢山入ってお徳そうなミックスジュースを頼んでいた。

甘くてどろっとしてて沢山の味が楽しめる魅惑の飲み物…当時の私にとってそのミックスジュースは世界で一番美味しい飲みものだった。最後の1滴まで惜しくてストローをZZZとならしては父によくしかられていた。

それから大人になり、Cafeなどを訪れる度に思い出したようにミックスジュースを頼んでみるのだが一度もその味を越える物に出会ったことはなく、やはり子供の頃の想い出を美化してるのかなと諦めていた。

そんな訳で父と昔よく行った喫茶店には、長い事味を確かめに行く勇気がなかった。

それが何故か今日ふと訪れてみたくなったのだ。

少し緊張しながら扉を開け、中に入ると昔と変わらぬ風景が迎えてくれた。
ミックスジュースを注文するとあの頃と同じガラスのコップに入ったミックスジュースがでてきた。

そして一口飲んだ瞬間…想い出が一瞬で甦ってきた。

なんだか一度に飲むのが惜しくてあの頃の様にゆっくりゆっくり飲んだ。

向かいの席には、珈琲を飲んで微笑む昔の父の姿があるようだった。

想い出のミックスジュース…でも、一人で飲むミックスジュースは世界で2番目に美味しい味だった‥
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by sunafukinnobousi | 2006-03-20 12:32 | 父とともに

父のカステラ

ふと訪れた百貨店でカステラの端を売っていて思わず子供のころを思い出し、懐かしくて買ってしまった。

私が子供のころカステラは贅沢品だった。我が家はそれほど裕福な家ではなかったので、カステラを食べることなど当然まれであった。

友達の家に遊びに行くとたまに出されるカステラが本当に美味しくて、そのことを両親に言ってカステラをねだっては困らせていたのを覚えている。

そんなある日父がカステラを買ってきたと言いながら家に帰ってきた。

しかしそのカステラは何故か箱ではなく袋に入っていて、どこか不恰好な形をしていた。

不思議に思いながら袋から出して一切れ食べると、でもそれはまぎれもなくあのカステラだった。

それからも父は時々その袋に入った不恰好なカステラをもって帰ってきてくれるようになった。

あるときなぜ急にカステラが食べられるようになったのか不思議に思い、父に尋ねたことがあったが、はにかむばかりで教えてくれることはなかった。

後でわかったことだが、父が知り合いの洋菓子屋に頼んでカステラを作るときに出来る端を子供のために譲ってもらっていたのだった。

少し硬くて、不恰好。でも父親の愛情がいっぱい詰まった、素敵なカステラ。いつしかそれが私のカステラになった。

そして洋菓子屋でカステラの端を見つけると、楽しかった子供のころと、今はもう死んでしまったやさしい父を思い出し、つい買ってしまうのだ。

そう何故か特別美味く感じる、カステラの端っこ…
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by sunafukinnobousi | 2006-02-09 15:38 | 父とともに